紀伊半島の旅 5日目
さて、高野山の宿坊にて一泊させていただき、
旅も5日目に突入。
まずは、宿坊のすぐ近くにあった、生麩のお店に立ち寄りました。
創業180年にもなる「麩善(ふぜん)」さん。
お客さん二人でいっぱい!ってくらいの、小さなお店。
「笹巻あんぷ」というお菓子が有名です。
いわゆる「麩饅頭」ですね。
冷凍状態のを地方発送出来たので、実家の分と箱買い。(笑)
その場でも頂きました♪
すごく上品な甘さの漉し餡を、ヨモギを練りこんだ生麩で包み、
熊笹の葉で巻いてあります。笹の香りがいい~♪
朝からご満悦になり、いよいよ、高野山散策です。
総本山となる「金剛峰寺(こんごうぶじ)」へ。
もともと、空海は高野山一山を寺の境内と見立て、それらすべての総称を
「金剛峰寺」としていたようです。
このお寺は、豊臣秀吉が亡き母の菩提のために建立し、
「青巌寺(せいがんじ)」という名称だったのだそう。
後の明治2年に、青巌寺と興山寺を合併して「金剛峰寺」と改称されたとのこと。
しかしながら、現在では、高野山真言宗の一切の宗務をこちらで司っているため、
総本山として、信仰の中心となっているようです。
んー、思わず背筋がきりっとしますねぇ。
派手な装飾があるわけではなく、「密教」の寺院ってこんな感じなのかぁ・・・
と、惹きこまれます。
屋根の上に、何かが乗っているのが見えますか?
これ・・・「天水桶(てんすいおけ)」と言うのだそうです。
金剛峰寺の屋根は、檜の皮を何枚も重ねて作られていて、
火災などの際に、天水桶に溜められた雨水を流して延焼を防ぐ役割があるんだって。
中に入って見学。
右側の間には、それぞれ狩野派などの襖絵が描かれていましたが、
そちらは撮影禁止でしたので、お庭のほうを・・・。
これまた美しい、枯山水です。
廊下は「うぐいす張り」になっていて、静々と歩いているつもりなんだけど、
キュッキュと音が鳴って、緊張しました。(笑)
順路に従っていくと、大広間にたどり着き、お茶とお菓子を頂きました。
わかりづらいかと思いますが、右奥のほうで、女性僧侶の方が法話を行っていました。
ちらほら、外国からの観光客の方もいらしたのだけど、ふと気づいたら、
ヲイラたちだけ。┣¨キ(*゚д゚*)┣¨キ
でも、せっかくなので、終了後は僧侶の方に曼荼羅の意味や、
梵字の見方、真言宗と他の宗派との違いなどをざっくり教えていただきました。
その方の話、非常に心にストンと落ちてきました。
すごくわかりやすく言ってしまうと、
他の宗派が「念仏を唱えることで死後に極楽浄土にいける=成仏する」と言う考え、
真言宗では、空海が唱えた「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」と言って、
生きている間に修行をすることによって、
誰でも生前に仏になれるという考えであること。
「死後なのか、生きている間なのか」というところが違うみたいです。
説明してくださった僧侶の方はこうおっしゃっていました。
「どれが正しいと言うことはない。何を大切にするかは人によって違います。
座禅が大事とする宗派もありますし・・・真言宗では言葉を大事にしています。
“真実の言葉”ということから“真言”と言われています。
どうせなら、生きている間に支えあって、助け合いましょう・・・というか、ね。」と。
ふむふむ・・・なるほど。そういう違いがあったのか。
お話を伺った部屋の後も、金剛峰寺、広い広い!
立派な台所がありましたよ~。
天井が高い!
高野槙で出来た水槽の中には、スイカが浮かんでました。(笑)
現在は使用されていないようですが、
なんと一度に2000人分の料理が出来たそうですよ。
ヲイラたち、脇から入っちゃったみたいで、正門は違うところでした。
高野山は、昔は「女人禁制」だったそうで、
金剛峰寺のこの正門から入ることが出来たのは、天皇・皇族・高野山の重職のみ
許されていたんだそう。
こうして、普通にくぐらせていただける時代が来るとは・・・ですね。
*************************************************************
さて、総本山を見学した後は、修行の中心地である場所へ。
「壇上伽藍(だんじょうがらん)」と読みます。
空海が高野山を開創し、一番最初に造営に着手した場所だそうです。
多くの堂や、塔が立ち並ぶこの場所は、「胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)」の
世界観を表現しているとか。
中心となるのが、この塔。
「根本大塔(こんぽんだいとう)」
真言密教の道場のシンボル。
堂内そのものが、立体の曼荼羅を構成し、造られています。
高野町は、ほぼ寺院で構成されているので、緑と木造建築・・・
といった色合いが広がる中、この「大塔」は車を走らせていても、
一際目を引く存在でした。
真新しい感じがしますが、高野山が標高の高いところにあることから、
過去に5回の落雷の被害にあい、焼失。
現在の建物は、その過去を配慮し、
昭和12年に鉄筋コンクリートで再建されたものだそう。
高さ、50メートル。
豆ちょびすけと比較すると、大きさがわかるかな?
大塔の斜め向かいに建つのが「金堂(こんどう)」です。
高野山一山の総本堂で、現在も、仏教行事のほとんどはこちらで行われるそう。
やはり6回の落雷にあい、昭和7年に鉄筋コンクリートで再建したんだとか。
かの「平清盛」が、「根本大塔」再建に携わっており、その際、
「金堂」に大きな「両部曼荼羅」を寄進。
曼荼羅の製作過程で、自分の額の血を混ぜて描かせた、と
『平家物語』に記述があり、現在、この曼荼羅は「血曼荼羅」と伝えられています。
広かったので、だいぶ端折って見学しました。
高野山は、来る2015年に開創1200年を迎えるそうで、
それに向けて、同じく焼失したままになっている
「中門」の再建工事に入っていました。
高野山マスコットキャラクター「こうやくん」♪
***************************************************************
いよいよ、空海のいる場所へ向かいます。
さて、日記内で「空海に会いに行く」と記しているのはなぜかといいますと、
ここ、高野山の「奥の院」では、
現在でも空海が霊廟(れいびょう)の中で、
禅行を続けていると言い伝えられているんです。
「入定(にゅうじょう)」と言って、密教の中での究極の修行だそうで。
正面に見えるのが「奥の院」で、そのさらに奥に「入定」している
「御廟(みびょう)」があるため、高野山最高の霊域になります。
そのため、橋の前で脱帽、一礼して渡り、ここより先は飲食、私語、
写真撮影は厳禁となります。
厳粛な気持ちで橋を渡りました。
たくさんの参拝者がいる時もあるみたいですが、この日はほとんど人がおらず
なんともいえない緊張感が・・・。
まずは奥の院を参拝し、左側から奥へまわると空海が入定している
「御廟(みびょう)」です。
実はちょびすけ・・・あんまりじっくり拝見しないで過ぎてしまいました。
(P曲`q)
・・・というのも、撮影禁止霊域であるため、ガイドブックにも、
TVの取材でも、橋の先が映されたことがなく、
どんな建物なのか、まったく想像が出来なかったため、
自分の中で、「ひっそり、厳かな感じ」にぽつんとあるという先入観で
行ってしまったのです。
実際は、灯篭などがたくさん立てられている、立派な建物でした。
しかも、御廟の前に椅子が置いてあったんだけど、
そこでいびきかいて寝てる人がいて、
「まさか、最高霊域で寝ないよなぁ・・・」と思ってしまった・・・。(´△`)↓
さらりと参拝して、歩きながら「で、御廟ってどれなんだろう?」って聞いたら
「え!今のじゃないの!?」って。Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン
しまった・・・なにやってんだ、ちょびすけ。(泣)
パンフレットに載せられた、貴重な写真。
先にパンフ貰っておけばよかった・・・。
まぁ、ちょびすけの失敗はさておき、
835年に「入定」して以来、
今現在も、毎朝6時になると空海に食事が届けられているそうです。
食事は、朝夕2回。
年に一回着替えも届けられるとのこと。
この役割は「維那(ゆいな)」と呼ばれる僧侶が担っているのだけど、
奥の院僧侶の中でも、御廟に入るのは維那以外は許されておらず、
中の状態は口外することが禁じられており、
実際に、一切口外されたことがないため、今でも御廟の中は謎のまま。
朝、6時に奥の院に向かえば、
食事を運ぶ「維那」の姿を拝見出来るようですよ。
**************************************************************
奥の院の参道は、約2キロに渡っていて、
両側には、数十万という墓石が建っています。
古く、苔むした墓石が見渡す限り広がっている光景は、
ちょっと一人で通るには・・・という感じもありますが、
ところどころに、戦国武将や歴史的人物の供養塔があり、
感慨深いところです。
「供養塔」なので、実際に納骨されていないものも多いですが、
名を連ねる人々のすごいことすごいこと。
蘇我入鹿・馬子、大岡越前、武田信玄、伊達政宗、石田光成、明智光秀、
上杉謙信、春日局、親鸞聖人、法然上人そして、初代市川団十郎、
また、敵であった織田信長まで。
※参考サイト(墓石画像) こちら
見つけるたび、「うぉー・・・」と驚く人物ばかり。
高野山は、特に宗教の宗派を問わないようです。
また、「高野山に墓石を建てると永遠に繁栄する」と言われているそうで、
企業の墓標も数多くありました。
それぞれ、特徴のあるデザインになっていて、ちょっと面白いですよ。
「福助足袋」や「UCC上島珈琲」、「パナソニック」「日本しろあり対策協会」などなど。
※企業墓石画像は こちら
************************************************************
伊勢神宮参りも、江戸時代に大流行したといい、
信仰と言うのも、「風潮」があるのかもしれません。
昨今も、パワースポット巡りで、神社仏閣を参拝する方も増えていますしね。
空海は、遣唐使として海を渡り、一人で密教を日本に持ち帰って広めたり、
多方面で才能のあった人のようです。
その空海のそばに墓石を建てるということは、
一種のステータスだったのだと思います。
聞くにつれ、観るにつれ、不思議な世界観でしたが、
1200年前からずっと引き継がれてきているというのは、
非常に感慨深いものでありました。
「一度でいいから自分の目で観た方がいいかも」
夫の勧めで行ってみた高野山。
誰かに聞かれたら、同じように言うと思います、ヲイラも。
「天空の仏教都市、高野山」
不思議な空気に包まれてみるのも、また面白いと思いますよ~。
ごめんなさいね、旅日記、まだもうちょっと続きます。(;´▽`A``
次回は、奈良県に突入します。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
こんばんは! 旅日記楽しく読ませていただいてます。
高野山、私は2~3回行ったことがありますが、ちょびすけさんのようにしっかり勉強せず行ったので、ただ単に観光で~ってな感じで写真を何枚か撮っただけでした。
ちゃんと勉強していった方が、いいですね。やっぱり。うん。
私は奈良県民なので、次回の奈良県の巻楽しみにしています。
投稿: para | 2013年8月19日 (月) 21:52
>paraさん
コメントありがとうございます!
近畿地方は、古代の歴史の逸話がたくさんあって
羨ましいです~。
あ、私もほとんどが帰宅してから調べて照らし合わせてる感じですよ。(笑)
でもこの作業が、自分の見てきたものと合致して、
初めて「ほぉ~」ってなるのが好きです。( ・ิ,_ゝ・ิ)プッ
奈良県、あまりたくさんは周れなかったんですけど、お楽しみに♪
投稿: 住人:ちょびすけ | 2013年8月23日 (金) 11:54
麩饅頭、好き好き~❤
ちょび夫くんはあまり仏教と接する機会も多くなかったのかな。
それでも高野山勧めてくれて、一緒に旅行するってなかなかすごいことだと思うな。
貴重な体験、てんこ盛りだね。
投稿: 高丘の湯宿 | 2013年8月27日 (火) 17:14
一つ気になった事があって、また戻ってきちゃった~www
蘇我入鹿とか武田信玄とか、みんな個人名なのに
なんで大岡越前なんだろー。とか。
役職名だから他にも該当する人がいるんじゃ?なんて
わかちこな疑問がwwww
で。気付いたら、ちょびブログの「最近のコメント欄」が高丘の湯宿だらけに( ゚艸゚)・;'.、ブッ
投稿: 高丘の湯宿 | 2013年8月27日 (火) 17:39
>湯宿ちゃん
そうね~、私のマニアック旅に付き合ってくれる僅かなメンバーの一人だわ。(笑)
供養等のほうは、どうやら「越前守」についていたときに、大岡家を祀ったらしいよ、本人が。
投稿: 住人:ちょびすけ | 2013年8月28日 (水) 23:42