« 紀伊半島の旅 宿坊に泊まろう! | トップページ | 紀伊半島の旅 5日目 奈良へ »

2013年8月19日 (月)

紀伊半島の旅 5日目

さて、高野山の宿坊にて一泊させていただき、

旅も5日目に突入。

 

まずは、宿坊のすぐ近くにあった、生麩のお店に立ち寄りました。

Dc0725703

創業180年にもなる「麩善(ふぜん)」さん。

お客さん二人でいっぱい!ってくらいの、小さなお店。

「笹巻あんぷ」というお菓子が有名です。

いわゆる「麩饅頭」ですね。

冷凍状態のを地方発送出来たので、実家の分と箱買い。(笑)

その場でも頂きました♪

Dc0725706

すごく上品な甘さの漉し餡を、ヨモギを練りこんだ生麩で包み、

熊笹の葉で巻いてあります。笹の香りがいい~♪

朝からご満悦になり、いよいよ、高野山散策です。

 

総本山となる「金剛峰寺(こんごうぶじ)」へ。

Dc0725613

もともと、空海は高野山一山を寺の境内と見立て、それらすべての総称を

「金剛峰寺」としていたようです。

このお寺は、豊臣秀吉が亡き母の菩提のために建立し、

「青巌寺(せいがんじ)」という名称だったのだそう。

後の明治2年に、青巌寺と興山寺を合併して「金剛峰寺」と改称されたとのこと。

しかしながら、現在では、高野山真言宗の一切の宗務をこちらで司っているため、

総本山として、信仰の中心となっているようです。

 

Dc0725574

んー、思わず背筋がきりっとしますねぇ。

派手な装飾があるわけではなく、「密教」の寺院ってこんな感じなのかぁ・・・

と、惹きこまれます。

Dc0725604               
                屋根の上に、何かが乗っているのが見えますか?

これ・・・「天水桶(てんすいおけ)」と言うのだそうです。

金剛峰寺の屋根は、檜の皮を何枚も重ねて作られていて、

火災などの際に、天水桶に溜められた雨水を流して延焼を防ぐ役割があるんだって。

  

中に入って見学。

Dc0725587
右側の間には、それぞれ狩野派などの襖絵が描かれていましたが、

そちらは撮影禁止でしたので、お庭のほうを・・・。

これまた美しい、枯山水です。

Dc0725597

 

廊下は「うぐいす張り」になっていて、静々と歩いているつもりなんだけど、

キュッキュと音が鳴って、緊張しました。(笑)

Dc0725584

 

順路に従っていくと、大広間にたどり着き、お茶とお菓子を頂きました。

Dc0725593

Dc0725589

わかりづらいかと思いますが、右奥のほうで、女性僧侶の方が法話を行っていました。

ちらほら、外国からの観光客の方もいらしたのだけど、ふと気づいたら、

ヲイラたちだけ。┣¨キ(*゚д゚*)┣¨キ

でも、せっかくなので、終了後は僧侶の方に曼荼羅の意味や、

梵字の見方、真言宗と他の宗派との違いなどをざっくり教えていただきました。

 

その方の話、非常に心にストンと落ちてきました。

すごくわかりやすく言ってしまうと、

他の宗派が「念仏を唱えることで死後に極楽浄土にいける=成仏する」と言う考え、

真言宗では、空海が唱えた「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」と言って、

生きている間に修行をすることによって、

誰でも生前に仏になれるという考えであること。

「死後なのか、生きている間なのか」というところが違うみたいです。

 

説明してくださった僧侶の方はこうおっしゃっていました。

「どれが正しいと言うことはない。何を大切にするかは人によって違います。

座禅が大事とする宗派もありますし・・・真言宗では言葉を大事にしています。

“真実の言葉”ということから“真言”と言われています。

どうせなら、生きている間に支えあって、助け合いましょう・・・というか、ね。」と。

ふむふむ・・・なるほど。そういう違いがあったのか。

 

お話を伺った部屋の後も、金剛峰寺、広い広い!

立派な台所がありましたよ~。

Dc0725602

天井が高い!

高野槙で出来た水槽の中には、スイカが浮かんでました。(笑)

現在は使用されていないようですが、

なんと一度に2000人分の料理が出来たそうですよ。

Dc0725603

ヲイラたち、脇から入っちゃったみたいで、正門は違うところでした。

Dc0725608

高野山は、昔は「女人禁制」だったそうで、

金剛峰寺のこの正門から入ることが出来たのは、天皇・皇族・高野山の重職のみ

許されていたんだそう。

こうして、普通にくぐらせていただける時代が来るとは・・・ですね。

 

*************************************************************

 

さて、総本山を見学した後は、修行の中心地である場所へ。

 

Dc0725700

Dc0725672

「壇上伽藍(だんじょうがらん)」と読みます。

空海が高野山を開創し、一番最初に造営に着手した場所だそうです。

多くの堂や、塔が立ち並ぶこの場所は、「胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)」

世界観を表現しているとか。

中心となるのが、この塔。

Dc0725687

                  「根本大塔(こんぽんだいとう)」

真言密教の道場のシンボル。

堂内そのものが、立体の曼荼羅を構成し、造られています。

 

高野町は、ほぼ寺院で構成されているので、緑と木造建築・・・

といった色合いが広がる中、この「大塔」は車を走らせていても、

一際目を引く存在でした。

真新しい感じがしますが、高野山が標高の高いところにあることから、

過去に5回の落雷の被害にあい、焼失。

現在の建物は、その過去を配慮し、

昭和12年に鉄筋コンクリートで再建されたものだそう。

 

Dc0725337                   
高さ、50メートル。

豆ちょびすけと比較すると、大きさがわかるかな?

 

大塔の斜め向かいに建つのが「金堂(こんどう)」です。

Dc0725692

高野山一山の総本堂で、現在も、仏教行事のほとんどはこちらで行われるそう

やはり6回の落雷にあい、昭和7年に鉄筋コンクリートで再建したんだとか。

Dc0725697

かの「平清盛」が、「根本大塔」再建に携わっており、その際、

「金堂」に大きな「両部曼荼羅」を寄進。

曼荼羅の製作過程で、自分の額の血を混ぜて描かせた、と

『平家物語』に記述があり、現在、この曼荼羅は「血曼荼羅」と伝えられています。

 

広かったので、だいぶ端折って見学しました。

Dc0725695

 

高野山は、来る2015年に開創1200年を迎えるそうで

それに向けて、同じく焼失したままになっている

「中門」の再建工事に入っていました。

Dc0725696

              高野山マスコットキャラクター「こうやくん」♪

Dc0725699

***************************************************************

いよいよ、空海のいる場所へ向かいます。

 

Dc0725330

さて、日記内で「空海に会いに行く」と記しているのはなぜかといいますと、

ここ、高野山の「奥の院」では、

現在でも空海が霊廟(れいびょう)の中で、

禅行を続けていると言い伝えられているんです。

「入定(にゅうじょう)」と言って、密教の中での究極の修行だそうで。

 

Dc0725663

正面に見えるのが「奥の院」で、そのさらに奥に「入定」している

「御廟(みびょう)」があるため、高野山最高の霊域になります。

Dc0725665

そのため、橋の前で脱帽、一礼して渡り、ここより先は飲食、私語、

写真撮影は厳禁となります。

Dc0725666

厳粛な気持ちで橋を渡りました。

たくさんの参拝者がいる時もあるみたいですが、この日はほとんど人がおらず

なんともいえない緊張感が・・・。

 

まずは奥の院を参拝し、左側から奥へまわると空海が入定している

「御廟(みびょう)」です。

実はちょびすけ・・・あんまりじっくり拝見しないで過ぎてしまいました。

                                      (P曲`q)

・・・というのも、撮影禁止霊域であるため、ガイドブックにも、

TVの取材でも、橋の先が映されたことがなく、

どんな建物なのか、まったく想像が出来なかったため、

自分の中で、「ひっそり、厳かな感じ」にぽつんとあるという先入観で

行ってしまったのです。

実際は、灯篭などがたくさん立てられている、立派な建物でした。

 

しかも、御廟の前に椅子が置いてあったんだけど、

そこでいびきかいて寝てる人がいて、

「まさか、最高霊域で寝ないよなぁ・・・」と思ってしまった・・・。(´△`)↓

さらりと参拝して、歩きながら「で、御廟ってどれなんだろう?」って聞いたら

「え!今のじゃないの!?」って。Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン

しまった・・・なにやってんだ、ちょびすけ。(泣)

20130817_001949_2

                 パンフレットに載せられた、貴重な写真。
                      先にパンフ貰っておけばよかった・・・。 

まぁ、ちょびすけの失敗はさておき、

835年に「入定」して以来、

今現在も、毎朝6時になると空海に食事が届けられているそうです。

食事は、朝夕2回。

年に一回着替えも届けられるとのこと。

 

この役割は「維那(ゆいな)」と呼ばれる僧侶が担っているのだけど、

奥の院僧侶の中でも、御廟に入るのは維那以外は許されておらず、

中の状態は口外することが禁じられており、

実際に、一切口外されたことがないため、今でも御廟の中は謎のまま。

 

朝、6時に奥の院に向かえば、

食事を運ぶ「維那」の姿を拝見出来るようですよ。

 

**************************************************************

 

奥の院の参道は、約2キロに渡っていて、

両側には、数十万という墓石が建っています。

古く、苔むした墓石が見渡す限り広がっている光景は、

ちょっと一人で通るには・・・という感じもありますが、

ところどころに、戦国武将や歴史的人物の供養塔があり、

感慨深いところです。

 

「供養塔」なので、実際に納骨されていないものも多いですが、

名を連ねる人々のすごいことすごいこと。

 

蘇我入鹿・馬子、大岡越前、武田信玄、伊達政宗、石田光成、明智光秀、

上杉謙信、春日局、親鸞聖人、法然上人そして、初代市川団十郎、

また、敵であった織田信長まで。

※参考サイト(墓石画像) こちら 

見つけるたび、「うぉー・・・」と驚く人物ばかり。

高野山は、特に宗教の宗派を問わないようです。

  

また、「高野山に墓石を建てると永遠に繁栄する」と言われているそうで、

企業の墓標も数多くありました。

それぞれ、特徴のあるデザインになっていて、ちょっと面白いですよ。

「福助足袋」や「UCC上島珈琲」、「パナソニック」「日本しろあり対策協会」などなど。

※企業墓石画像は こちら

************************************************************

 

伊勢神宮参りも、江戸時代に大流行したといい、

信仰と言うのも、「風潮」があるのかもしれません。

昨今も、パワースポット巡りで、神社仏閣を参拝する方も増えていますしね。

 

空海は、遣唐使として海を渡り、一人で密教を日本に持ち帰って広めたり、

多方面で才能のあった人のようです。

その空海のそばに墓石を建てるということは、

一種のステータスだったのだと思います。

 

聞くにつれ、観るにつれ、不思議な世界観でしたが、

1200年前からずっと引き継がれてきているというのは、

非常に感慨深いものでありました。

「一度でいいから自分の目で観た方がいいかも」

夫の勧めで行ってみた高野山。

 

誰かに聞かれたら、同じように言うと思います、ヲイラも。

「天空の仏教都市、高野山」

不思議な空気に包まれてみるのも、また面白いと思いますよ~。

 

Dc0725609

 

ごめんなさいね、旅日記、まだもうちょっと続きます。(;´▽`A``

次回は、奈良県に突入します。 

 

 

|

« 紀伊半島の旅 宿坊に泊まろう! | トップページ | 紀伊半島の旅 5日目 奈良へ »

コメント

こんばんは! 旅日記楽しく読ませていただいてます。
高野山、私は2~3回行ったことがありますが、ちょびすけさんのようにしっかり勉強せず行ったので、ただ単に観光で~ってな感じで写真を何枚か撮っただけでした。
ちゃんと勉強していった方が、いいですね。やっぱり。うん。

私は奈良県民なので、次回の奈良県の巻楽しみにしています。

投稿: para | 2013年8月19日 (月) 21:52

>paraさん
コメントありがとうございます!
近畿地方は、古代の歴史の逸話がたくさんあって
羨ましいです~。
 
あ、私もほとんどが帰宅してから調べて照らし合わせてる感じですよ。(笑)
でもこの作業が、自分の見てきたものと合致して、
初めて「ほぉ~」ってなるのが好きです。( ・ิ,_ゝ・ิ)プッ
奈良県、あまりたくさんは周れなかったんですけど、お楽しみに♪

投稿: 住人:ちょびすけ | 2013年8月23日 (金) 11:54

麩饅頭、好き好き~❤

ちょび夫くんはあまり仏教と接する機会も多くなかったのかな。
それでも高野山勧めてくれて、一緒に旅行するってなかなかすごいことだと思うな。
貴重な体験、てんこ盛りだね。

投稿: 高丘の湯宿 | 2013年8月27日 (火) 17:14

一つ気になった事があって、また戻ってきちゃった~www

蘇我入鹿とか武田信玄とか、みんな個人名なのに
なんで大岡越前なんだろー。とか。
役職名だから他にも該当する人がいるんじゃ?なんて
わかちこな疑問がwwww

で。気付いたら、ちょびブログの「最近のコメント欄」が高丘の湯宿だらけに( ゚艸゚)・;'.、ブッ

投稿: 高丘の湯宿 | 2013年8月27日 (火) 17:39

>湯宿ちゃん
そうね~、私のマニアック旅に付き合ってくれる僅かなメンバーの一人だわ。(笑)

供養等のほうは、どうやら「越前守」についていたときに、大岡家を祀ったらしいよ、本人が。

投稿: 住人:ちょびすけ | 2013年8月28日 (水) 23:42

この記事へのコメントは終了しました。

« 紀伊半島の旅 宿坊に泊まろう! | トップページ | 紀伊半島の旅 5日目 奈良へ »