いってらっしゃい。
今日の日記、とりとめもなく・・・また長くなります。ご了承ください。
小学校1年で札幌から東京に転勤してきて、それから30年家族と
ずっと同居していた実家の祖母が、家を離れることになりました。
急に「特別養護老人ホーム」への入所が決まったからです。
今のご時世、東京ではどこの施設でも2~300人の待機者がいて、
入りたいと思っても入れる状態ではないそうです。
祖母に「認知症」の兆候が出始めたのは、私が沖縄転勤になるちょっと前、
5年ほど前くらいからだったかもしれません。
それまで、自分で買い物に行くことも出来ていた祖母でしたが、
物忘れなどがちょくちょく見受けられるようになったと、家族から聞いていました。
転勤後、最初の頃はわりと短いスパンで帰省する機会がありましたが、
帰るたび祖母が同じことを何回も質問してくる・・・といった様子が現れていました。
その頃は、家族全員仕事を持っているため、近隣の施設などの
「デイケア」を利用することを薦めても、必要ない、行きたくないと
かたくなに拒んで家族が困っていました。
しばらくして「デイケア」に通い始めたという話を聞きましたが、
認知症の進行は想像以上に早く、初めの頃は帰省のたびに
「沖縄はやっぱり台風がすごいのかしら?」と、
1時間おきに聞いてきていた祖母も
2年程前には私が送った写真入りの葉書などを見せても
誰だか答えられなくなりました。
身体的な介助も必要となり、家での入浴も限界が来て、
ここ数年は可能な範囲内で「デイケア」と「ショートステイ(短期入所)」を
利用させていただいていました。
家族の心労、肉体的疲労もどんどん増し、近隣の施設へ待機者として
申請をしてまわっている・・・と聞いたので、今年の春、私のスケジュールが
大きく空いた時期を見計らって1年半ぶりに帰省しました。
「何か手伝えたら・・・」と思っていましたが、
デイケアから戻ってきた祖母に
「おばあちゃん、お帰り~。お花見楽しかった?」と声をかけましたが、
毎日会っている施設の職員さんに「お世話になりました」とお辞儀をするも、
私の顔を見た途端、ものすごく険しい表情に変わってしまい、
玄関で出迎えた私を素通りして部屋に入ってしまいました。
そう、私は「見覚えのない不審な人」になっていました。
そのことに関しては、私も福祉の仕事をしていた人間なので
取り立ててショックでもなく受け入れられることが出来ました。
1ヶ月の帰省中、私から祖母にしてあげられることはないなぁ・・・と実感。
知らない人にいきなりお世話をされるのは祖母も不安ですからね。
私に出来ることは、祖母の介護をする家族の話を聞くことと、
家のことを少しでも手伝って、負担を減らすことだけでした。
表情もほとんどなくなり、目もあわせてくれませんでした。
そこが自分の家であるということもわからなくなっていました。
ぽっと出の人間が中途半端に関わることが、そこを離れた後
毎日介護している家族のペースをどれだけ崩してしまうかは
わかっていたので、時間刻みで息つく暇もない家族の生活を
ただ見守るしか出来ませんでした。
それは4月の話ですが、その後の5ヶ月間で認知症はさらにひどくなり
仕事を抱えながら、常に家族の誰かがリビングにいなければならなくなり、
新聞を取りに行く一瞬でも鍵を持ってでないと、中から鍵をかけてしまって
入れなくなったり・・・
ここ最近では深夜に目が覚めていろいろやってしまうため、
家族が寝る時間をずらして、誰かが起きている・・・という生活に至っていました。
実家のプライベートな話なので詳細は省いていますが、
ここに書いてあることは氷山の一角で、時折実家へ連絡すると
「もう限界・・・」という張り詰めた何かを感じました。
きっと私が聞いていること自体、ほんとうに一部にしか過ぎません。
そんな折、東京郊外の施設に待機者が少ない特養があると聞いて
申請をしたところ、半月くらいで連絡があり、あっという間に面接の方がいらして
入所が決定したと実家から連絡がありました。
施設の入所というのは老人に限らず「急」です。
遠いから・・・などと断ったら「緊急性がない」と判断され、
上がっていった優先順位を一番あとにまわされる・・・という現実は、
自分が知的にハンディのあるかたに関わる仕事をしていたとき、
いやというほど直面してきた現実です。
ちょくちょく行ける距離ではないけれど、同じ東京都内でこんなに早く
入所させていただけて、対応も悪いところではなかったので
「よかったね」と思っていました。
いよいよ、翌日から入所という準備の段階で、いつもお世話になっている
ケアマネージャーさんがたまたま各種サービスでお世話になっていた
施設に連絡をいれたところ、直前になって2月の段階で2~300人待ち
だった優先順位が上がっていることが判明。
急遽会議となり、なんと地元の施設の入所の許可がおりたのです。
あと一日遅かったら、郊外のところへ入所し、おそらく地元で空きが出ても
「すでに入れている場所がある」という判断で、優先順位は最後のほうに
回され移動は不可能だったと思います。
こんなことがあるの?!と家族一同驚きましたが、認知症の進行や
そのほかの事をいろいろ汲んで下さっていたようです。
こうしてすぐに会いに行ける場所への入所が昨日決まりました。
その連絡を聞き、安堵感が湧きました。
これで家族が一瞬たりとも気の抜けない生活から少し開放される、
毎日どこに行くのかわからない祖母の不安感が解消される・・・。
しかしながら、同じように入所を待っているたくさんの方がいるのは
紛れもない事実で、その方たちの負担が一日でも早く解消されるよう、
待機者を減らす努力を、新しい政権に切に願ってやみません。
入所したからといってそれで介護が終わるわけではありませんが、
今日バタバタしているであろう家族に「お疲れ様でした」というメールを
送ったと同時に、ものすごく実感が湧いてきました。
安堵感にプラスして、もうあの家に帰っても祖母はいないんだな・・・
と思ったら、なぜだか涙が止まりません。
家族みんながキュウキュウな精神状態でいることより、
施設で落ち着いて生活できることも、とてもありがたい事であり、
私は福祉の学校を卒業しているため、現場で働いている友人が
たくさんおり、おじいちゃんおばあちゃん大好き!といって
一生懸命施設での生活に潤いを与えてくれているのを知っているので、
施設に送り出す不安感はまったくありません。
ただ、新しい場所へと出発する祖母を「いってらっしゃい」と見送りだしてあげたかった。
でも叶いません。
やっぱり沖縄はこんなとき遠すぎるんです。いろんな意味で。
地続きじゃないのが本当に痛いです。
こんなときはいつも、もどかしい気持ちで一杯になります。
4月の帰省中、ずっといぶかしげに私を見つめていた祖母でしたが、
明日沖縄に帰る・・・という日の晩に、母がちらし寿司を作ってくれました。
母は食事の支度の後、祖母の着替えなど介助があるため、
食卓に家族全員がそろって落ち着いて食事を出来る機会はほぼ取れなく、
その日も祖母だけ先に食卓で散らし寿司を食べていたのですが、
なぜだかその日に限ってみんなで祖母の食事を眺めていたら
「そんなにみんなが見ていたら、恥ずかしくって食べれないよ。
あなたたちも気を使ってないで一緒に食べれば良いのに・・・」
そういって祖母が照れくさそうに笑ったのです。
これには父も「おいおいどうしたんだ?こんなしゃべるなんて最近なかったぞ」
とびっくりして笑っていて、
「うーん、いいんだよ~。おばあちゃんが美味しそうに食べてるな~♪って
みんな嬉しく見てるんだよ」というと、
一瞬何年ぶりだろう・・・という和やかな空気が流れたのを覚えています。
私は、おそらく次に来るときは祖母は家にいないかもしれない、
こんな調子の良い、まるで昔の祖母が帰ってきたみたいな夜を
過ごせることは、一度沖縄に戻ったら不可能かもしれない・・・と
なぜかその時思ったので、持って行っていた一眼レフのカメラで
家族の写真を撮りました。
おそらくこんな風に家族が並んで写真を撮ったことは、我が家には
なかったと思います。
「おばあちゃん、こっちだよ~!」と私がカメラを構えながら
左手を顔の横にあげて声をかけると、同じように祖母が手を上げて
微笑みました。
「髪の毛ぼさぼさなのにいいの?」と言いながら。
こんな会話、こんな表情はこの時期ではすでに奇跡でした。
そこには小さい頃、洋裁でミシンをかけている祖母の部屋に
入っては、ミシンの反対側から眺めていた祖母の懐かしい穏やかな笑顔が
ありました。
とり終えた後、確認するとなんとびっくり!
真似して顔の横に上げていた手の反対側の手で、
祖母は無意識にピースしていたのです。
「ちょっと見て!おばあちゃんピースしてた!(笑)」
家族でどっと笑ったあの晩のことは忘れません。
一緒に暮らしたあの家から「いってらっしゃい」と見送って上げられなくて
ごめんね。
しょっちゅう会いに行ってあげられないけど、ごめんね。
遠くから「いってらっしゃい、またね」って言うからね。
帰ったときは会いに行くからね。
そして、安堵感とともにからっぽになった部屋を眺めて、
張り詰めていた時間がぽっかり空いて、不思議な感覚になるのは
一つ屋根の下でずっと介護を続けてきた家族のほうが
何倍も何かを感じると思います。
これからは、その時間を自分の人生の時間に目一杯使ってください。
何もお手伝いできなくてごめんね。
長い間、在宅での介護お疲れ様でした。
あの晩撮った写真(東京帰省のすべての写真)、
この前のPCの故障で全部消えてしまったのだけど
家族で撮った写真だけは、私、ちゃんとプリントしてあったみたい、写真屋さんで。
おばあちゃん・・・やっぱり「はいチーズ」って言われたら、ピースだよね!
みんなで撮った写真大事にするから、なんならおばあちゃんも持っていってね。
最後まで読んでくださってお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
ちょびすけ
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コメント
私がちょびと会った時って事だね。
ちょびも久々の帰省だったのに大変だったね。
話もなんにもきいてあげられなくってごめんよ。゚(PД`q。)゚。
ウチもおばあちゃんが清○の施設に入ってたんだ。
一緒に暮らしたことは無いし、亡くなる前にいつ会ったかも
わからない位会わないままだったし、家族には何にも
ヘルプしてあげられなかったよ・・・。
何も分からなくなっちゃってた祖母だけど私が結婚するって
きいた時、笑顔で拍手してくれたんだって。
なんか不思議で、切ない。
凄くいい写真が撮れてよかったね。
すぐに行けないのはつらいかも知れないけど、
きっとちょびは家族の心の支えになってると思うよ。
投稿: くまじろう | 2009年10月 3日 (土) 18:48
おばあちゃん、新しい生活スタートするんだね。
背景とかちょびすけ君の気持ちがぐっと伝わってきて
泣いちゃったよ。
おばあちゃん、穏やかな毎日をスタート出来るとイイね。
投稿: カータン | 2009年10月 3日 (土) 18:57
待機してる方が多い中 施設に入れることができてよかったね。
おばあちゃんや今まで介護してガンバってきた家族みんな
穏やかに暮らせるのならそれでいいと思います。
ちゃびさんの気持ちや家族の気持ちはおばあちゃんにはきっと伝わってるはずだから。
投稿: しーぽん | 2009年10月 3日 (土) 20:02
こんにちは。
読みながら自然と涙が出てきていました。
4月の帰省のときもいろいろ聞いていたので、家族の心労を考えると正直、良かったのかな~?とも思いますが、長年一緒に住んでいた家族がある日から急に別に住むっていうのも何だか複雑ですよね…。でも自宅から近い場所のようでよかったですね。
ちょびさんがすぐに行けないというもどかしさも少しですが分かっているつもりです。でも、ご家族は遠いながらもちょびさんを頼りにしているだろうし、おばあちゃんにもきっと伝わっていることと思いますよ。
投稿: ちいたろう | 2009年10月 3日 (土) 20:07
そっかあ、ちょびさんのデジイチで家族写真が撮れたんだね!
いい雰囲気を一枚一枚パチリパチリと撮ったんだね。
うーん、こういう話を聞くとカメラやっててよかったなあって思うよ。
たとえそれが一瞬の奇跡だったかもしれなくても一枚の枠に記憶されたんだもんね、あー、データ消えてもちゃんとプリントしてたんだ!!よかったよかった。
投稿: buzz | 2009年10月 3日 (土) 20:58
私も大好きだった祖母を思い出して泣いちゃいました(ノ_-。)
でも、おばあさまにもご家族にも、きっと良い選択なんだと思います。
皆さんにとって穏やかな日々となりますように。
投稿: るり | 2009年10月 3日 (土) 22:54
そっかー、とうとう。。。
なんかね、こういう時の矛盾したような複雑な気持ち、わかるな。。
実家の皆さんもポッカリ穴があいたような感覚になってるだろうね。
これからは少し気持ちに余裕をもっておばあちゃんと向き合えるよ、きっと。
早く新しい環境に慣れるといいね。
投稿: 高丘の湯宿 | 2009年10月 4日 (日) 09:11
涙、止まらなくなりました。
投稿: 松竹梅 | 2009年10月 4日 (日) 12:10
ちょびちゃん、こんなことがあったのね。。。
私の伯母さんも、やっぱり、認知症になってしまって、もう私のことなんかわからないの。切ない。。。
遠くの施設に預けるときに、部屋のドアをしめたとたんに「ばかやろー!!」とかものすごい暴れたんだって。。。
ちょびちゃんのおばあちゃん、きっと、ちょびちゃんのことは忘れてなんかいないよね。
写真はピースってのと、同じで思い出すよね。
投稿: こず | 2009年10月 4日 (日) 16:16
>くまじろう
いやいや、そんな気にしないで~!
あの時はくまに再会できた喜びで一杯だったからさ♪
くまのおばあちゃんもあのあたりだったのかぁ。
あそこはもともと療養所なんかがたくさんあったところだから、
施設もほかのところより多くてありがたいよね。
すべてがわからなくなってしまうわけじゃないんだなぁ・・・ってくまのエピソードを読んで、ほんとしみじみ思うよ。
だからなおさら切ないのだけども。
でも近くに入れてほんとよかったよ。
>カータン
体のほうはいたって元気!なので
職員さんがんばってくださいね~・・・^^;
って、ついつい元福祉従事者は思っちゃうのだけど~。
でもほんと振り返らずに行っちゃうのかなってね。
見送る家族はちょっと寂しいだろうなぁ。
ショートステイでお世話になっていたところに入れたので、
緊張もそんなにしないと思うんだ。
帰ったら会いに行かなくっちゃ♪
>しーぽんさん
ほんとそう・・・待ってる人たちも同じような生活をしているんだよね・・・って思うと、ほんと施設がたらなすぎだよね。
歩いて20分くらいなので、本当にありがたいことです。
>ちいたろう
あの時からさらにスピードを増して進行しちゃってねぇ・・・。
誰も老いには逆らえないのだけどね。
でも家族のこともとても心配だったから、やっぱり安堵感のほうが強いかな。
ちいたろうには挙式でも同席してもらったけど、8年経ったからねぇ・・・。
沖縄にいると、いろんなことを腹くくんないとな!って思うのだけど、それは自分にとって必要だったな・・・って思うよ。
>buzzくん
そうなの・・・記事書きながら、「ぁぁ・・・そっか帰省した写真・・・orz」って思いつつ、
「ん?まてよ!」と探したらみんなで並んだ写真も全部焼いてあったよ~!
buzzくんの言うとおり、写真ってすごいよね。
昔のいわゆる「写真館」なんかの仕事は、とても素敵な場面のお手伝いになるのだなぁって思ったよ。
たまには料理以外も撮らないとだわ~。^^;
>るりさん
みなさん、それぞれに思い出があって切ないですよね。
やっぱり在宅だとしてあげられることにも限界があるから、
これからの寒い時期、ゆっくりあったかいお風呂にいれてもらって、お友達も出来ると良いなって思ってます。
>高丘の湯宿ちゃん
家族も一気にどどっと疲れが出ないといいけど・・・^^;
おかげ様で1週おきにショートステイにいっていたところなので、
そのままそこで・・・っていう感じになる予定だよ。
あとはお部屋のみなさんと仲良くね・・・と祈るのみだねぇ。
>松竹梅さん
書くかどうかかなり迷ったのですが、
書いて気持ちの整理がつきました。
明日から新しい生活のスタート!です。^^
>こずちゃん
こちらからみていると「わからないんだ」って思っちゃうけど、
本人にしてみればふと思い出すこともあるだろうし、
完全にすべてを忘れるわけじゃないから、
「なんで?」って混乱することもあるのだろうね。
そうそう、おばあちゃん(大正生まれ)がまさかピースするとは!
自分のおうちもね、どこ?ってきくと、今の家じゃなくて
ほんとに小さい頃すんでた実家の光景を話すんだよね。
不思議さねー。
コメントをいただきました皆様へ
温かいコメント、本当にありがとうございました。
明日より自宅を離れますが、これからも施設の方と協力して
祖母が余生をたくさんの人に囲まれて、幸せにすごせるよう
これからもサポートしていけたらな・・・と思っています。
ちょび
投稿: 住人:ちょびすけ | 2009年10月 4日 (日) 19:18