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2006年6月23日 (金)

慰霊の日

この日の記事を書くのも2回目になりました。

今日は「沖縄全戦没者慰霊の日」です。

沖縄戦で亡くなったアメリカ兵や、全国から招集された日本兵、そして沖縄県民・・・

20万人近く犠牲になった方々を追悼する日です。

沖縄では、この日は休日となっていて、公共機関や、公立の学校はお休みになります。

昨年は、自分自身沖縄に来たばかりで、「慰霊の日」の存在を知ったばかりでした。

「追悼式」が行われると知って、自分も・・・と思ったけれど、行き方もわからず

家で過ごしました。


今年も、昨年同様、正午ちょうどに泊港の汽笛が一斉に鳴り、黙祷しました。

たくさんの船の汽笛が、すごく悲しく思えて、手を合わせながらどうしてか涙が出てしまいます。


ひめゆりの塔の資料館には5回程訪れていますが、糸満・摩文仁(まぶに)の

「平和祈念公園」には行ったことがなく、今年は沖縄戦をもっと知るためにも、

この日、祈念公園へ行こうと決めていました。

Dc062307

「平和の火」

この「平和の火」と太平洋に向かって、さざ波の形に「平和の礎(いしじ)」が建っています。

礎には国内外問わず、沖縄戦で亡くなった20万人の名前がひとりひとり刻まれていて、

遺族の方々がお花やお線香をもって「礎」をお参りしています。

家族ばらばらになり、どのように亡くなったのかもわからない、

また、一族が全員なくなり、この「礎」にのみ名前が残っている方もいらっしゃるのだそうです。


沖縄戦で亡くなった20万人のうち、約11万人が日本人で、その11万人のうちの

9万人は一般の沖縄県民だったとのこと。

足を踏み入れたことのなかった「資料館」を見学しました。

目を覆いたくなるような写真もありました。

まだ小さな子供や、老人の遺体がそのまま道ばたに放置されている・・・。

今自分が毎日生活しているところが、アメリカ兵と日本兵の激戦地だった

ということは知っていたのですが、実際、映像で見るとやはりショックでした。

展示を見終わって出てくると、正面には真っ青な空と海。

こんなにきれいな景色だけれど、61年前の今日、

どんな気持ちでこの空と海を見上げていたんだろう。

少し、引き締まった気持ちになり、「平和の火」までたどり着くと、

先ほどパネルに無惨な姿で写っていた子供と同じ年頃の子供達が、

炎に水をかけあって遊んでいました。

そんな光景を眺めていたら、ひとりの男の子が言いました。

「そうだ!戦争が無くなるようにって水かけようよ!」



自分たちに出来ること。

それは、こんな言葉を子供達が自然に発せられるように語り継いでいくことなのかな?

私たちの年代は、まだ学校の先生や祖父母、親も「戦争体験者」という

ギリギリの世代だと思う。

だから、経験のない私たちがちゃんと教えてあげられるように、

過去の過ちを知らなくちゃいけないよね。



最近は、学校で「愛国心」を育てよう!っていうことが盛んに行われているらしい。

でも、教科書にマニュアルのようにかかれた「愛国心」より、

隣の席の友達、親兄弟、自分の大切な人達の命の尊さを、

まず、教えてあげるべきなんじゃないかな?

今日も資料館にはとても小さな子達がたくさんいました。

「怖いよ・・・」と泣いている子もいましたが、みんな一生懸命説明を受けていました。

今、世界はあまりよろしくない方向に行こうとしている気がします。

月並みだけれど、こんな悲劇が二度と繰り返されないよう、

私たち大人は無関心ではいけない、と気が引き締まる思いの「慰霊の日」でした。

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コメント

ちょびの日記で今日が慰霊の日だということを知り、考え深くなりました。日本という平和な国で過ごしている自分がとっても幸福だと思う反面、まだ戦争をしている国があるということを日々忘れてはいけないと思う。
人に対して無関心になりつつある世の中で、人の温かさを感じなくてはいけないと思うのほほん世代である。

投稿: ぴと@ | 2006年6月23日 (金) 22:53

まだ私は 資料館等行った事ありません。まだいく勇気がありません…

慰霊の日が近づくと毎年おばあちゃんが戦争の時の話しをしてました。
戦火の激しかった南部を逃げ惑った父や祖母の話し…
とても胸が痛いです。

なんだか文章にまとまりつかない…

戦没者の皆様に追悼の意を込めて…お祈りします。

投稿: miichan | 2006年6月24日 (土) 00:02

今年の慰霊の日も蒸し暑くてほんとに暑い日でしたね。
毎年思うんですよ・・・
この青い空はあの頃どんな風に見えてたんだろ~って。
いつ行っても平和公園から見える海がほんとに
ものすごく綺麗すぎて 資料館で感じた重い空気と
重くなった心を慰めてくれるような気がします。

ちょびすけさんの言ってるように
押し付けの愛国心は要らないと思う。
自分や周りの人たちが好きになれたら
大切なものはなんなのかってことわかってくると思うんです。

争いのない平和な世の中になれるよう
事実をしっかり見て聞いて考えないといけないですね・・・
今日は糸満まで行ったけど
時間なくて資料館入れなかったから
またゆっくり行ってきます。

投稿: しーぽん | 2006年6月24日 (土) 03:27

慰霊の日 沖縄では休日になってるなんて知らなかったよ。

ニュースでしか見ないし、実際に目にしないとなかなか
リアルに戦争の悲惨さを痛感する事はできないのは事実です。
でも、沖縄はただきれいな海だけじゃなっくって、そういう歴史があるって事もちゃんと知っておかなくちゃ、、って思いました。

う~んあんまり言いたいことがうまく書けない!
最近適切なボキャブラリーがさらっと出てこないのよね。。

投稿: くまじろう | 2006年6月24日 (土) 12:04

私も、休日になってること、はじめて知りました。

両親が沖縄に行って、「ひめゆりの塔」に行ったときいて、
「もっと楽しいところに行けばいいのに」なんておもってたんです。戦争体験者だから、やっぱり外せないのかなぁ。

自分達には馴染みがないし・・・なんて思ってちゃいけないですね。
やっぱり、私達が日本人として伝えていかなくては!
ひとつ利口になりました。。。

投稿: こなす | 2006年6月24日 (土) 20:45

その日子供達と一緒ではるぴんが
「ママ、12時になったら黙祷しようよ」・・と。
三人で12時のサイレントともに黙祷しました。
幼い頃戦争の話を聞くたびに胸を痛めていたことを思い出しました。子供達のこの素直な心、大切にしたいですね。(^^)

投稿: はるりん | 2006年6月24日 (土) 23:27

久しぶりっす!

ちょびさんも沖縄に来て 初めて沖縄の
戦争を 目の当たりにしたと思います。
言葉で伝わる激戦区は 心が無いと思います
実際 ちょびすけさんみたいに
資料館などに行くと 言葉で聞いた沖縄戦と
全然違うはずです。
ちょびすけさんが 汽笛を聞いてなだウルウル
して頂いた事は ウチナーンチュの一人としまして
感謝致します。
俺は まだ摩文仁には行った事ありません。
いや 行かしてもらえないんです、
目の前を 通るだけでも きついんです
行きたいですけど、『覚悟して行くなら行きなさい・・・・』
との事です。
行きたいんですけど 行けないんです。
この間 息子がDVDを 借りたいとの事でしたので、
連れて行くと、息子が借りたDVDが 
さんまさん主演の さとうきび畑?
二人して号泣きでした。
どの世界でも、二度と戦争は起きてほしくないですね。

ぬちどぅ宝(命は宝)の心を大切にしてもらいたいです。
長々とすみません。

投稿: マイル | 2006年6月25日 (日) 03:26

>ぴと@
そなの・・・私もこちらに来るまでは全然しらなかった「慰霊の日」。
やっぱり住むようになって、日常の中にほんとうにたくさん!戦争の傷跡が至る所にあるんだよね。
それでやっぱり住むんだからもっと知らなきゃってすごく思ったんだよね。

>miichanさん
たった一年住んだだけの私でも胸が詰まる思いなので、
ご親族が犠牲になられたり、体験してる方はより身近で、
受け入れるのには辛すぎる・・・。
語り継がれたそのお話の重さを感じます。

>しーぽんさん
なんだか一人で行くにはやっぱり勇気がいって、なかなかいけずにいました。
ここを逃したら、また行けなくなってしまいそうだったから、「慰霊の日」を選んで行ってきました。
でも、礎に向かう遺族の方々、アメリカ兵の礎の前にひとつひとつ飾られた星条旗をみて、本当に大切なことはなんなのか、自分なりに考えることが出来ました。

>くまじろう
本土ももちろん空襲にあっているし、広島や長崎も多くの命を奪われた事実は同じ・・・。
ただ、受けとめるのが苦しいのは、沖縄戦は本土への上陸を1日でも遅らせるために時間稼ぎにされた・・・。
それを知って、その事実を知らなかった自分にも憤りだったし、
本土の人間としてやっぱり謝りたい気持ちもある・・・。
取り返しはつかないのだけどね・・・出来ることは知ることなのかなってね。

>こなすちゃん
やはり重いテーマだからね。
私も友達には来ている回数や、いろいろ考慮して案内するようにしているよ。
気持ちの切りかえが辛い人もいるからね。
でも、「慰霊の日」の存在をこうして少しでも伝えられたことは、
自分が沖縄にきた意味があったと思えるんだよ。

>はるりんさん
沖縄、広島、長崎・・・平和学習を積極的に行っているところの子供達はやっぱり違うと感じるときがあります。
昨年は学校が休みで、公園で遊んでいた子供達が
正午に合わせて一旦お家に帰ってました。
子供って本当は「なにが正しいのか」、ちゃぁんとわかってるんですよね・・・大人が思うより。
小さいこでも、伝わるものはある・・・と思ってます。

>マイルさん
お帰りなさい~!
そうですね・・・悲しいかな、私を含め多くのかたは沖縄戦の詳細を学ぶ機会があまりなかったと思います。
いい大人の私も、本土の空襲と地上戦の違いをちゃんとわかってなかったです。
どちらも尊い命を奪われたことには違いないのですが。
一人でも多くの人が知ってくれるといいです。

投稿: 住人:ちょびすけ | 2006年6月25日 (日) 22:33

またまたシツレイします。今朝の新聞の読者投稿欄は、「わかもの声」っていう、小学生から大学生から来た投稿を載せるものだったの。

そこに、小学生が沖縄に修学旅行にいって、戦争のことを学んだ。って書いてあってさ。「赤ちゃんが泣き出すと米軍にみつかるから、お母さんが首を絞めて殺してしまった」という、その子の投稿をよんで泣いてしまった・・・。

こんな小さな犠牲もあったなんて・・・!忘れないでいようと思った。。。

投稿: こなす | 2006年6月26日 (月) 18:45

>こなすちゃん
そうだね。ドラマ「さとうきび畑」にもそういうシーンがあったね。

沖縄に人の心に深い傷を残したのは、そこなのかもしれない。
この小さな島の中で地上戦だったんだよね。
追いやられて追いやられて民間人が身を潜めていた洞窟の中に、やはり追いつめられた同じ日本人である兵隊さんが来て、沖縄の人が追い出されてしまったり、その記事のように、泣く子供を自ら手をかけなければ追い出すと言われやもなく・・・という場面がたくさんあったそうです。

そんな悲しいやりとりが、敵味方でなく、同じ日本人同士の間での出来事・・・。
本当に沖縄戦の悲しみは想像を絶する複雑なものなんだね。
でも、もちろん、全ての日本兵がそうだったわけではないということも証言から伺いました。

投稿: 住人:ちょびすけ | 2006年6月26日 (月) 19:01

俺もまたまた失礼致します。

俺んとこの母上も戦争体験者で
幼い頃の話をいろいろ 聞きました。
ちょびすけさんが おっしゃる通り日本兵が
皆が皆 悪い人ばかりでなく 食料がなく
困ってる母上達に 自分の食料を分け与えたり
芋を わざわざ採ってきてくれた兵隊さんも
いらしてだいぶ助かったと話しておりました。

悪い意味出で言えば本土の方を『ないちゃー』という
沖縄の言葉がありますが、本来の意味で言えば
汚い言葉になります、言わばにくしみを込めた
言葉です、現在は愛嬌のある言葉で
使われておりますので、安心して下さい。
未だにくしみがあれば、沖縄での観光客に対する
障害事件とか多くなってるはずです。

話を戻しますが、米兵は食料が豊富で 捕虜になっても満足
だったそうです。
食事や怪我の治療 至る所での差だと思いますが、
所詮日本の兵隊さんは 何にも無い所での
民間人に対する 命懸けの労りですから
悪い人ばかりでも無いのは 誤解の無いように
理解して頂きたいです。
あの命懸けの労りがあったからこそ 今日の私達が
居る事に感謝しております。

ごめんね、ちょびすけさん 長々となりましたが、
ちょびすけさんのブログには 本土の方が
多いみたいですので、沖縄の人間の1人として
コメントしました。

最後に 我々沖縄の人間が本土に行った時
『沖縄ではまだ ギブミ-チョコレートって言ってんの?』
つて言われた事ある方は事実居ます。
俺もその内の1人です。
戦争は遥か前に終わってますが、その事も
踏まえて お伝え致します。

投稿: マイル | 2006年6月26日 (月) 22:30

こんにちは。
ちょっとパソコンはなれてたのでご無沙汰です。
もう、いつもまとめてコメント許してくだされ。

慰霊の日、私も黙祷しました。今在る青い空も海もささやかなシアワセも多くの犠牲の上にあることを、ずっと伝えていかなければいけないと私も思います。

『愛国心』、もういっこのほうに(ミクシー)に書いたんですが、学校で押し付けられるものでも、まして評価の対象になるようなものではないと思うのです。
ちょびさんの言われるように、隣の人を愛する、それこを大切だし、オトナが自ら態度で示して伝えるべきなんじゃないんでしょうかね。
いろんなこと考えさせられる日でした。

投稿: そら。 | 2006年6月27日 (火) 11:50

>マイルさん
貴重なコメントありがとうございます。
本当に戦争が終わって61年経つのに、まだまだ埋められない溝が残っていますよね。
マイルさん他うちなーんちゅの人が本土で受けた偏見。
他にもいくつか聞いたことがあります。
そして、観光ではなく、いざ住んでみると、「ないちゃー」である自分が身に覚えのない意地悪をされることもたまーにあります。

一時期、自分でもどうしたらいいのかわからなくて、心がフリーズしてしまった時期もありましたが、うちなーんちゅもないちゃーも、とにかく「ひとまとめ」にして考えず、個人個人と出逢ってその人をみていくしかない・・・ですよね。

でも、復帰前世代のかたのお話を聞くと、やはり複雑な思いを抱かれているのはやむを得ないっていうか・・・うまく言えないけど。
そんなことも含めて言えるのは、私は沖縄が大好きだということですね。(^-^)

>そら。さん
本当にそうですね。
この青い空と海、そしてゆったりした時間を取り戻してくださった
沖縄の方々の努力と忍耐を心の片隅に入れとかないと・・・ですね。
そう考えると「なんくるない」も実は深みのある励ましの言葉のように思いますね。
そうやってみんな頑張ってきたんだって・・・。

投稿: 住人:ちょびすけ | 2006年6月27日 (火) 17:53

すごく遅ればせながら私もまた失礼します☆

ちょびすけの「出来る事は知る事なのかな、」ってコメントに
なんだかはっとさせられたよ。
ほんとにそうだね。。。

投稿: | 2006年6月29日 (木) 15:53

>お名前忘れちゃったねさん
自分の最期を誰も知らないって寂しいし、
それがまた悲劇的なことだったとしたら、そんな風に命を落としていった人達のこと単なる数字じゃなくて、ちゃんと聞かなきゃなって思う今日この頃です。

投稿: 住人:ちょびすけ | 2006年6月29日 (木) 21:09

この記事へのコメントは終了しました。

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